金使いすぎだ、カス。金の大切さを知れ
金が大事か職が大事か、
どの生き方が正しいのか
どの生き方が正しいかなんて順列をつけることは多分できない
生きて、生きて、生きた先、死んだときにいい人生かどうか、正しかったのかどうかわかるのだろう
いろんな人生がある
じゃあお前は、俺は、どう生きるのか
何かになりたい
なんだ?教師か会社員か?
まだわからない
他人の彼女はかわいく見えるらしい
他人の人生をいいな、かっこいいなと思うのもそれとおんなじじゃないか
生きるのは自分
どう生きるか
俺はやっぱり軸がほしいな
アメフトやって、いろんなことしたけど
まだ足りない、もっとしっかり生きろよ
なんとなくやるな
一個一個の行動に責任をもて
意味をもて、利益かどうかじゃない、意味だ
2つ以上のことを平行してできない?勉強、バイト、部活、筋トレ
甘えんな、もっと柔軟に生きろ!なんのための体の柔らかさだ!
ただある程度でいいから余裕を常にもて!それは忘れるな
そのためには準備が必要
入念な準備、計画
それにとらわれすぎるのはよくないが、やっぱり必要
金は大事だ
基礎体力
訳3ヶ月ぶりの投稿。
人が何かを始めて、それの効果が出るのに3ヶ月かかるとよく聞く。実際、4月の新歓期のころと比べると少しは体がでかくなったし、態度がでかくなったのか(そんな気はあまりないが、)ちょっと豪快な人間になった気がする。2年目の大学生活は、1年経験しているためか試合が多かったからかわからないが去年よりも早く過ぎたように思う。後輩もできた。
4月に新入生が入ってきたとき、正直自分はあまり快い気持ちでいれなかった。目を輝かせながら大学を歩き、サークル、部活、勉強、バイト、何をしようかと迷う新入生を見ると、「ああ元気でいいなあ」と思う反面、「今は選択肢、可能性が掃いて捨てるほどあるけど、5月6月と日が経つにつれてお前はどこかに落ち着いてどこにでもいる茶髪大学生になってしまうんだぞ。」とひねくれた考えをもってしまうのだった。また、そんな中でも親しくなった後輩から“先輩”と呼ばれるのも4月5月のうちは違和感を感じてばかりであった。一応、一年早く入学しているのだから先輩と呼ばれるのはまあ当たり前なのだが、自分がそれほど真当な人間ではないのに“先輩”と呼ばれるとグサッときた。以前つぶやいたが、投げナイフを胸に投げつけられている気分になった。そしてなにより気分を害したのがなんとなく先輩面をしている輩を見たときである。「浮かれるな」と、「浮かれていいのは新入生だけでいいよ」と言いたい。言った。
6月ごろになるとフワフワしたムードも収まったが、自分はというと部活部活でそれどころではなく始まったと思ったら30日だった、そんな勢いであった。
7月。春シーズンも終わり、部活はトレーニング期になった。気持ちに余裕を持てるようになった。
昨日、「風立ちぬ」を見た。明治時代に生きた人には浪漫があるなと思った。前にNHKで見た「坂の上の雲」の人たちにも浪漫があった。自分が小学生ぐらいのときは何も夢をもっていなかった。小学校の文集に載っている、料理人(寿司屋)という夢はテキトーなもので即席で書いたものだ。それを本気にした担任が「今は回転寿司がメジャーで、シャリは機械で作っているから職人はあまりいらないんだよ。」と言われたのを記憶している。夢らしい夢を最初に持ったのは高1のときで、医者というものであったが、なんやかんや今では教育学部に来ている。そこらの経緯は前に書いた。結論を先に言うと、何かをやろう、成し遂げよう思ったら体力がいるということである。最近読んだテニス小説のなかの文章に影響を受けているのは否めない。だから、俺は将来なんの役に立つかわからないけど部活をしている。俺はすごい人間になる。そのための基礎体力作り。待っとけあと2年。っした。ただ最近たるんでるな、
宮本 輝「青が散る」
p232
「一生つづくかも知れん足踏みや。しかし、最後は体力が決定する。これだけは真理やぞォ。人生の勝敗は体力が決定するんや」
「少なくとも、体力という土台の上に、あらゆる知恵も策謀も計画も存在してるんやないか。と言うことは、俺たちは人生の基礎を、この大学生活で作ってるんや」
部屋の汚さに愛嬌を感じたら、それはもう汚くない
自分が忙しいことをアピールする人になってもいいかなと思った2週間。上級生ってすごい。
1年生が入ってきた。フワフワしている。去年の自分は、この地に足ついてない感じが嫌で早く環境に慣れようとしていたと思う。
簡潔に言うと言いたいことは次の3つ
1.自分は大した人間じゃないのに、先輩と呼ばれるのがたまに辛い
2.新入生のキラキラ感が早く落ち着いてほしいと思ってしまうことがある。
3.タッチフット教えてて、自分は教育者に向いてるのか不安を感じた。
ps:哲学分野に進んだが、「変な人がいっぱいいそうで面白そうなので来ました」なんて言えない雰囲気だった。
サインカーブを引っ張ればいい
最近の波は激しい。ゆっくりしたいとは思うけど、無理だ。いいペースが続くことなんてありえないし、わるいペースは勝手にやってくるがそれにのってゆっくりするのは堕落するのと同じだ。
しかし、なんでこんな時間のないときにかかるかな・・
そうだ
俺のせいだ。知ってるよ。戻してやるよ!
日常
辛いなあと思うことをクリアすると、なんでもやっていける気がするというのは割とホントのようだ。もうすぐ2月も終わるが、最近部活へのモチベーションがけっこう高い。当たり前だと言われればそれまでだが。しかし、体重を急に増やし脂肪もけっこうついてしまったからか、あまり動けなくなってしまった。やばい。やることはたくさんあって、それもやばい。食事管理もされてしまった。こたつの熱が出るところがとれて、上向きに置いて使っている。毎日危機感を感じている。そんな日常。
ps:褒められると、すぐ調子にのるのはやめましょう。
意識する、考える
怒涛の勢いで1週間が過ぎた。水曜からシーズンインして、オフの金曜には学校参観。そこから練習練習練習。体が痛くなったけど、慣れてきて少し楽しくなってたりもする。その間に20歳になった。20歳になってみないと大人としての実感がわかないもので・・・・。
20歳までは子供でいいやと言い聞かせていた。
去年の年末に実家に帰った際、父親に「お前は行動に責任をもて」と大げさに言われた。ホントに大げさに、(酒入ってたせいだと思うが)泣きながら。それから成人式もあったけど、20歳までは20歳まではとクヨクヨしていた。
もう大人だ。
今日はオフだが、今日締め切りの「教職入門」の記録を書いていた。(学校参観の感想など)その中の項目の1つに教師に求められる資質は何だ?という質問があった。自分が書いたことをここに記録しておく、
「内容を教えるための見識、コミュニケーション能力、チームの一員としての協調性」
夜カレー
かっこいい人の話
まず、自分の思うかっこいい人とは魅力ある人間のこと。
経済の先生が入学当時、言っていた。
「魅力ある人間に必要なのは、自分の生き方への自信、主体的な自己決定、勉学の蓄積だ。」
個人的にだが、人間は20代後半が一番かっこいいと思う。
それ以降は人によりけり。(それ以前も人によりけりといえば、人によりけり)
なぜ20代後半かというと、若者心の意地が見えるからだ。
「年をとると、いろんなことを考えるから選択肢がせまくなってくる、せまくしてしまう。」そう聞いたことがあるが、20代から30代になるとその幅がより縮まるように思う。
だから、なにか自分を支えるものを見つけて、それにすがる覚悟をしなくてはいけない。だいたい、それが20代前半ぐらい。26、7になるとその覚悟が固まってきて、経済の先生の言葉を借りると、生き方への自信がにじみ出てくる・・そんな気がする。
今までの生き方に自信があれば、そこからの人生もなんだかやっていける気がしてくる。30以降の山々を登っていける自信。
その先は自信を更新するかしないか。なんでこんなことを書いたのかというと、そろそろ自分も20代なので、かっこよくなる準備をしなくてはと思ったから。
ps:語彙が欲しい。
psのps:裏打ちハイハットってかっこいい。そういえば、大学ではベースやる予定だった。