中庸に敗れない

オーケストラからアメリカンフットボール部に転身したら、でかくなりすぎて親に認識されなくなった文系大学院生。

基礎体力

訳3ヶ月ぶりの投稿。

人が何かを始めて、それの効果が出るのに3ヶ月かかるとよく聞く。実際、4月の新歓期のころと比べると少しは体がでかくなったし、態度がでかくなったのか(そんな気はあまりないが、)ちょっと豪快な人間になった気がする。2年目の大学生活は、1年経験しているためか試合が多かったからかわからないが去年よりも早く過ぎたように思う。後輩もできた。

4月に新入生が入ってきたとき、正直自分はあまり快い気持ちでいれなかった。目を輝かせながら大学を歩き、サークル、部活、勉強、バイト、何をしようかと迷う新入生を見ると、「ああ元気でいいなあ」と思う反面、「今は選択肢、可能性が掃いて捨てるほどあるけど、5月6月と日が経つにつれてお前はどこかに落ち着いてどこにでもいる茶髪大学生になってしまうんだぞ。」とひねくれた考えをもってしまうのだった。また、そんな中でも親しくなった後輩から“先輩”と呼ばれるのも4月5月のうちは違和感を感じてばかりであった。一応、一年早く入学しているのだから先輩と呼ばれるのはまあ当たり前なのだが、自分がそれほど真当な人間ではないのに“先輩”と呼ばれるとグサッときた。以前つぶやいたが、投げナイフを胸に投げつけられている気分になった。そしてなにより気分を害したのがなんとなく先輩面をしている輩を見たときである。「浮かれるな」と、「浮かれていいのは新入生だけでいいよ」と言いたい。言った。

6月ごろになるとフワフワしたムードも収まったが、自分はというと部活部活でそれどころではなく始まったと思ったら30日だった、そんな勢いであった。

 

7月。春シーズンも終わり、部活はトレーニング期になった。気持ちに余裕を持てるようになった。

 

昨日、「風立ちぬ」を見た。明治時代に生きた人には浪漫があるなと思った。前にNHKで見た「坂の上の雲」の人たちにも浪漫があった。自分が小学生ぐらいのときは何も夢をもっていなかった。小学校の文集に載っている、料理人(寿司屋)という夢はテキトーなもので即席で書いたものだ。それを本気にした担任が「今は回転寿司がメジャーで、シャリは機械で作っているから職人はあまりいらないんだよ。」と言われたのを記憶している。夢らしい夢を最初に持ったのは高1のときで、医者というものであったが、なんやかんや今では教育学部に来ている。そこらの経緯は前に書いた。結論を先に言うと、何かをやろう、成し遂げよう思ったら体力がいるということである。最近読んだテニス小説のなかの文章に影響を受けているのは否めない。だから、俺は将来なんの役に立つかわからないけど部活をしている。俺はすごい人間になる。そのための基礎体力作り。待っとけあと2年。っした。ただ最近たるんでるな、

 

 

宮本 輝「青が散る

p232

「一生つづくかも知れん足踏みや。しかし、最後は体力が決定する。これだけは真理やぞォ。人生の勝敗は体力が決定するんや」

「少なくとも、体力という土台の上に、あらゆる知恵も策謀も計画も存在してるんやないか。と言うことは、俺たちは人生の基礎を、この大学生活で作ってるんや」