日常トライ&エラー

オーケストラからアメリカンフットボールに転身したら、でかくなりすぎて親に認識されなくなったサラリーマンの日常。

当たり前だが、人生は有限だ。

今後の医学の発展で、もしくは自分の健康に気を使うことで、より長く生きることは可能なのかもしれない。

 

ただ自分はより長く生きたいというよりも、親が死ぬまで、そして自分の家庭を作るまでは生きたいと思っている。

具体的には、長くても90手前まで生きれればいい。

 

そうなると、今24なのであと66年。

 

何かに時間を使うということは、自分の命を費やしていることだと私は思う。

そして最近、時間を使って自分の中から考えを引き出すことは、自分の命を注いでいることと同じだと思うようになった。

 

考えた上でつくられたモノには、人の命が込められている。

魂が込められているとも言えるかもしれない。

(正直、命と魂の違いはわからない)

 

絵画や音楽、書物、精密機械、衣服、服飾雑貨、家、家具、食器、食物、料理、仕事でのプレゼンテーション、スポーツの1プレー。

 

周りを見渡せば、命が込められたモノはたくさんある。

 

自分も、そういったモノをつくりたいと思う。

 

 

 

 

 

 

去年の7月に京大オケの演奏を聴いた。

 

「学生」はいいなと思った。

 

皮肉ではない。

将来に対する不安、悩みを抱えながら、もがきながら、自分の存在を示している。

オーケストラを聴いた感想はざっとこんな感じだ。

ブラームス1番の最終局面への盛り上がりは、まさに彼ら彼女らの熱を感じた。

 

同時に自分の高校時代が、走馬灯の如く脳裏に映し出された。

ろくに練習もしないで先輩に怒られ、音を聞かずに女子高生を好きになり、やっと音を鳴らせるようになったと思ったら、もう高2の冬だった。

 

3年間を通して、ブラームス1番、大学祝典序曲、チャイコフスキー6番、フィンランディアシベリウス2番、1812、、と色々な曲をやったが、まともに演奏できたのは最後の文化祭だけだ。

宇都宮ホールでの演奏で、1812のテンポが上がり過ぎて終わったのは懐かしい。

 

高校時代、(大学時代もそうだが)確かに自分はもがいていたなと改めて思った。

過去になってしまえば、懐かしむことができる。

時間の流れが、どんなものでも良くも悪くも風化させてくれる。

 

 

今は何でもやってみようもすることが大切だと思う。

 

まず平成が終わるまでの2年間、何かを切り開きたい。

山田孝之のカンヌ映画祭 #2 天願大介

- カンヌに行けるためのコツってありますか?

 

一般論で言うとね
ハリウッドが嫌いなんですよカンヌの人たちは。
もうね憎悪している。
だから不親切に作るということですよ。
説明したりお客さんにサービスをしない。

 

- それはお客に向けるというよりも批評家に向けて作るっていう?

というより作家の中にあるこうなんか整理されてないものが出てこないと。

それをお客さんに向けてサービスして整理しちゃうとエンターテイメントじゃないですか。

もうちょっとこう原型のまま出すみたいな。
直接的なメッセージのようなものを入れたほうがいいかもしれない。

 

- それは一言で語れるようなシンプルなものということですか?
じゃなくてたとえばカメラ目線で彼女が女性差別について3分間じゃべるとか。
そうするともうオッケー。

嘘でもいいから現実の酷さを誇張して描くことで、全然お話に関係なくても。

要するにバランスを崩すということ。

 

- 今の日本映画の傾向、状況は?

 

みんな大喜利が好きなんですよ。

みんなが同じこと知ってて、同じ経験してて、同じ価値観を共有してるから、小さな価値観が楽しいっていう。

これって年寄りの、体力がなくなった年寄りの遊びなんだと思うんですよ。

つまり、フィジカルが弱い。日本映画は。

だからその微細な大喜利ゲーム、センス合戦をいくらやっても、国内では評価されるかもしれないけど、外に行ったら一撃で倒されていしまう。

 

つまり同じものを共有していないから。

今の日本映画っていうか今の日本全体がそうだし。

だんだんそういう傾向が強くなってきているように思いますね。

そうすると、業界の中には業界のルールがあって、そんなルール誰が決めたんだよってルールをみんな守るのがもう無前提に当たり前になっている。

その中で作っていても、外に出てみたときに強いフィジカルをもった作品にはなかなかならない。

つまり体力がつかない。

 

もっとなんかひどい目にあって作らないと。映画なんだから。

そういうことを海外のやつはやってると思うんですよ。

だから、対峙したときにパンチ力がある。

ゴッホ

風景画を描くように人物を描くこと。

それが何をおいてもやるべきこと。

 

同時に二つのことはできない。

私のただ一つできること、それが絵画だ。

 

芸術とは一つの抽象なのだ。

自然の前で夢見つつ、そこからこの抽象を引き出すのだ。

 

 

一つの内閣を変えるよりも、一つの家の味噌汁の味を変えることの方が、よっぽど難しい

とと姉ちゃん 114話

 

家族は社会の縮図です。

家族は国であり、環境も異なれば文化だって違う。

つまり、結婚は二つの国を一つにするようなものです。

それをまとめるには、毎日の食事。

味噌汁が大きな役割を担っています。

きっと鞠子さんの暮らしは、正平君が好む味噌汁の味を知ることから始まるでしょう。

そのためには、水田家にはどんな暮らしがあり、何を大事にしてきたのか。

それを理解し、寄り添うことが大切です。

そしてそれは正平君も同じこと。

互いに育ってきた環境を尊重し、理解し合わなければ、二人にとって美味しい味噌汁を完成させることはできません。

二人の旅路は始まったばかりですが、これから長い時間をかけて、最高の味噌汁を作り出してくれるものと信じております。

それが完成する頃には、思いやりに満ちた、幸せな家庭が出来上がっていることでしょう!

スリムクラブの漫才は、宗教の本質を見抜いてるんじゃないかと思った。

 

我々がお話をして、メッセージを伝えて、皆さんが理解していただいて、それを受け取ってもらって、お互いの心と心が通じ合った瞬間に何が生まれると思いますか?

宗教です。