日常トライ&エラー

オーケストラからアメリカンフットボールに転身したら、でかくなりすぎて親に認識されなくなったサラリーマンの日常。

鏡の角度とかで大きさとか変わるから、自分の本当の大きさは実際にはわからない

 ぱっと考えていたことを忘れたときに、「すぐ忘れるってことは、そんなに大事なことじゃなかったんだよ」という人がたまにいるが、そういうときに忘れてしまうことこそ、重要なことだったりする。

 

 

 最近は考えて動くようにしている。腕とか足をどう動かしたらいいとか、主に体のことについてではあるが。

 入部したとき、「考えること」をやめようと思った。他人に流されて生きていこうとしたのではない。

 

もともと、自分は何かと極端な傾向があった。「考える」ということもその一つで、一度考えるとそのことばかり頭の中にあるのだ。

そういうときは、時間を持て余しているときで、忙しいとき、とくに慣れない環境に順応しようとするときはあまり考えることはなかった。この部に入部したのは、どれだけ慣れようと必死になっても最後まで慣れることがないような環境に身を置けば、考えなくなるだろうと考えたからだ。

 

結論からいうと、自分はほとんど考えなくなった。

 

「みんな自分の体の動かし方をわかっていない。その状態で練習を重ねると、少しは上手くなるが、伸び悩むときがくる。」

 

武井壮がそう言っている動画を最近見た。

人間はとりあえず環境に慣れようとするのではないか。そして自分は早く慣れようとするあまり極端に考えなくなってしまったのではないか。

 

 

まあいいやとは言いたくないが、とりあえず考えることを考えるのはここでやめる。

それがつっかかりになって、邪魔だった。

 

 

 

4月12日 哲学者は全知者と無知者の中間 

プラトン 哲学入門 三木清

 

タイミング

2013年1月

 

 

1月25日からの生活。

今週1週間が終わろうとしている。たしかhal東京のcmに「今日も勝負したか?」というセリフがあったが、ほとんど、いやまったく勝負していない。

土俵にすら立ってない。

観客だ。

部活のトレーニングで追い込むぐらいしか勝負していない。

何やったんだかわからない日があるのは情けない。記憶に残っているのは火曜と木曜と金曜ぐらいか。

木曜は久しぶりに1日に4つ授業に出て、部活もした。

今日土曜日はというと本当はちょっとした飲みがあり、ものすごく楽しみにしていたのだが明日朝早いことや人数の関係で延期になってしまった。そのため4時くらいから予定がなくなってしまった。なんだか最近は1日を充実させることに義務感を感じてしまい、「何かしなくちゃ出かけなきゃ」という言葉に捕らわれていた。こうしてみると1月はまったく落ち着いてない。結局今日は、バイオリンを弾いてやろうかと思ったがうるさすぎてやめ、ちょうど届いた中村佑介のカレンダーをポスターにしようとコピーしに行って、パソコンいじって今にいたる。勉強するか。

 

ps:把瑠都大関じゃなくなっていたことを最近知った。

 

ps:東京でも火の用心!!とかやるんですね。ヘッドホンつけてると、声が少しこもって怖い。

 

 

新しいことを始めて、それが自分に合わないから、辛いからって投げ出して、別の新しいことを“やりたいこと”といって始めるのは逃げじゃないのか?ちょっと傲慢じゃないか?

2013年7,8月

 

この前ちょっと夢の話をしたが、実際のところ夢をもつことがどういうことなのか、そもそも“夢”ってなんなのか自分にはよくわからない。

金使いすぎだ、カス。金の大切さを知れ

金が大事か職が大事か、

どの生き方が正しいのか

どの生き方が正しいかなんて順列をつけることは多分できない

生きて、生きて、生きた先、死んだときにいい人生かどうか、正しかったのかどうかわかるのだろう

 

いろんな人生がある

じゃあお前は、俺は、どう生きるのか

 

 

何かになりたい

なんだ?教師か会社員か?

 

まだわからない

 

他人の彼女はかわいく見えるらしい

他人の人生をいいな、かっこいいなと思うのもそれとおんなじじゃないか

生きるのは自分

どう生きるか

俺はやっぱり軸がほしいな

アメフトやって、いろんなことしたけど

まだ足りない、もっとしっかり生きろよ

なんとなくやるな

一個一個の行動に責任をもて

意味をもて、利益かどうかじゃない、意味だ

 

2つ以上のことを平行してできない?勉強、バイト、部活、筋トレ

 

甘えんな、もっと柔軟に生きろ!なんのための体の柔らかさだ!

ただある程度でいいから余裕を常にもて!それは忘れるな

そのためには準備が必要

入念な準備、計画

それにとらわれすぎるのはよくないが、やっぱり必要

 

金は大事だ

 

 

 

 

基礎体力

訳3ヶ月ぶりの投稿。

人が何かを始めて、それの効果が出るのに3ヶ月かかるとよく聞く。実際、4月の新歓期のころと比べると少しは体がでかくなったし、態度がでかくなったのか(そんな気はあまりないが、)ちょっと豪快な人間になった気がする。2年目の大学生活は、1年経験しているためか試合が多かったからかわからないが去年よりも早く過ぎたように思う。後輩もできた。

4月に新入生が入ってきたとき、正直自分はあまり快い気持ちでいれなかった。目を輝かせながら大学を歩き、サークル、部活、勉強、バイト、何をしようかと迷う新入生を見ると、「ああ元気でいいなあ」と思う反面、「今は選択肢、可能性が掃いて捨てるほどあるけど、5月6月と日が経つにつれてお前はどこかに落ち着いてどこにでもいる茶髪大学生になってしまうんだぞ。」とひねくれた考えをもってしまうのだった。また、そんな中でも親しくなった後輩から“先輩”と呼ばれるのも4月5月のうちは違和感を感じてばかりであった。一応、一年早く入学しているのだから先輩と呼ばれるのはまあ当たり前なのだが、自分がそれほど真当な人間ではないのに“先輩”と呼ばれるとグサッときた。以前つぶやいたが、投げナイフを胸に投げつけられている気分になった。そしてなにより気分を害したのがなんとなく先輩面をしている輩を見たときである。「浮かれるな」と、「浮かれていいのは新入生だけでいいよ」と言いたい。言った。

6月ごろになるとフワフワしたムードも収まったが、自分はというと部活部活でそれどころではなく始まったと思ったら30日だった、そんな勢いであった。

 

7月。春シーズンも終わり、部活はトレーニング期になった。気持ちに余裕を持てるようになった。

 

昨日、「風立ちぬ」を見た。明治時代に生きた人には浪漫があるなと思った。前にNHKで見た「坂の上の雲」の人たちにも浪漫があった。自分が小学生ぐらいのときは何も夢をもっていなかった。小学校の文集に載っている、料理人(寿司屋)という夢はテキトーなもので即席で書いたものだ。それを本気にした担任が「今は回転寿司がメジャーで、シャリは機械で作っているから職人はあまりいらないんだよ。」と言われたのを記憶している。夢らしい夢を最初に持ったのは高1のときで、医者というものであったが、なんやかんや今では教育学部に来ている。そこらの経緯は前に書いた。結論を先に言うと、何かをやろう、成し遂げよう思ったら体力がいるということである。最近読んだテニス小説のなかの文章に影響を受けているのは否めない。だから、俺は将来なんの役に立つかわからないけど部活をしている。俺はすごい人間になる。そのための基礎体力作り。待っとけあと2年。っした。ただ最近たるんでるな、

 

 

宮本 輝「青が散る

p232

「一生つづくかも知れん足踏みや。しかし、最後は体力が決定する。これだけは真理やぞォ。人生の勝敗は体力が決定するんや」

「少なくとも、体力という土台の上に、あらゆる知恵も策謀も計画も存在してるんやないか。と言うことは、俺たちは人生の基礎を、この大学生活で作ってるんや」